2011年7月22日金曜日

Designをするということ

なんとなく開いたfacebook、フォローしているDesign Museum Londonから興味深いリンクシェアがありました。題して"Creative Britain in Reverse?(クリエイティブなイギリスからの逆行?)"。
Creative Britain in Reverse?
イギリスの教育現場での『デザイン教育』の重要性を再認識してもらうべく、シーモア・パウェル、デザイン技術協会、ジェームス・ダイソン基金が共同でPR活動を行っている。
内容はどんなものかと言うと、教育現場における『デザイン』教育の重要性を説いたもので、今日イギリスがイギリスたり得る最大の理由は、デザイン教育から育まれる『水平思考』能力が国民に浸透しているからというもの。デザイン教育がイギリスの経済をけん引しているという、教育関係者と子を持つ親御さんたちに対するアピール。ちょっと日本では考えられないPR活動ですね。
そもそも『水平思考』と言う事を知る人も少ないと思うし、『デザイン』を理解している方も少ないのではないかな?日本では。 『水平思考』は、端的に言うと「規程概念にとらわれず、自由に発想する事」で、 『デザイン』は、与えられた課題に対する「問題解決手段」。
日本ではデザイナーが育たないのは、『デザイン』の本質を理解しておらず、『デザイン』=『デコレーション/コーディネーション』という図式が罷り通っているから。『デコレーション』は「表面的な美を追求する事 "superficial aesthetics"」、『コーディネーション』はあくまでも「調整 "adjustment"」で、「お決まりのパターン "patternised"」がある。 『デザイン』するには、例えば建築であれば、その建築が建つ立地条件、つまり「気候」、「風の流れ」、「地盤」、「建蔽率等の規程」、「周辺施設」、「周辺の歴史」、「人間工学」、「コスト」、そして最後にその建物の「利用目的」、これらをすべて検討する必要があります。 これがプロダクト・デザインであれば、「素材」、「色」、「耐熱性・耐冷性」、「利用目的」、「人間工学」、「コスト」等になるし、 ヘアデザインなら、対象者の「輪郭」、「髪質」、「利便性」、「求められる外的印象」、「テーマ」、「再現性」等々。 ファッションは、ヘアデザインに似たものがあるけど、これプラス「素材」、「色」、「通気性」、「断熱性」、「人間工学」等で、マイナス「髪質」。 もちろん、そこにクライアントの「喜び」は不可欠ですよ。
さて、これらを考慮して『デザイン』している方がいくらほどいるかと言うと、少なくともメディアに既出の方々では極僅か。バッサリ切っちゃいますけど。w 何故かというと、日本人は『デザイン』=『意匠』であるのに、この『意匠』を理解していないから。『意匠』とは、「意を凝らす(一心に考えをめぐらす)」という事で、これを忘れているから。いや、知らないふりをしているから。すべては、クライアントの都合の良いよう、回転率と収益率を上げるために。提案する方も、される方も知らないことはできないし、要求できない。でも、このやり方は、資源枯渇につながる。物質的な意味でも、思想的な意味でも。最悪なケースは、そして現実そうなっていますが、どの企業も同じ様なものしか生み出さなくなるということ。 残念ながら、コンテンツ産業も同じなんでしょう。魅力的なコンテンツは、本当にこだわり、そのコンテンツに対してデザイナーの愛情を感じられるもの。愛情があれば、それをより良く見せようとする努力をするし、より良いプレゼンテーションになる。利益性、創作の容易さだけを追求したものは、本当に陳腐。某テレビ局の番組を見ていると、本当にミルクダウンされた詰らないものだと思う。
では、『デザイン』はどの様に生まれるかとい言えば、『水平思考』を教育の現場で教えて行く事、これしかない。自由な発想で、自由に創作する事に楽しみを覚えさせたうえで、その発想に基づき「問題解決」をさせる事。「制限」のない『デザイン』は、もはや『デザイン』ではなく、「自己満足」でしかなくなってしまいますからね。相手がいてからこそであるという事を学ぶ事、これも『デザイン』には必要なこと。そして『提案能力』を身に付けさせること、これも重要なこと。 そしてもう二つ必要であり、かつ重要な事は、デザイナーの『好奇心』と『探究心』。これらに基づき蓄えられるありとあらゆる知識が、そのデザイナーの創造する『デザイン』に「深み」と「説得力」、「オーラ」、「重み」を与える。そして、唯一無二な「個性」を育む。 日本の美術、デザイン教育は、小手先のスキルは上達するけど、『水平思考』は育まない。そもそも教える側が知らない事は、教育を受ける側には教えられない。日本の「英語教育」と同じ。英語をしゃべれない、書けない人が、英語を教えられない。また、英語を学ぶ苦労を知らない人も、英語を教えられない。
では、『水平思考』の素晴らしさは何かと言うと、これが何も『デザイン』分野だけでのみ日の目を見るというわけではないということ。『考える力』があれば、経営でも、営業でも、そしてデザインの分野でも、活躍するチャンスが生まれるし、またその力は企業の独自性を生み、経営力を高める。政治家でも同じ様に活躍できる。 『水平思考』能力を得るということは、ある意味で『サバイバル能力』を得るということ。

どうでしょう、そろそろ日本も『デザイン』を見直し、『水平思考』能力を育む教育現場にしていくことは? これ以上物質的な豊かさを求めても、真の豊かさ、心の豊かさにはつながらない。 「思考停止」状態の日本から脱却するためには、「考える能力」が絶対不可欠なのです。 「まさかそんな」や「そうなるとは思わなかった」と言うのは、想像力欠如の末期症状。
イギリスでの『デザイン教育危機』から我が身を振り返り、よりよい日本にするためのにも、今一度深く考えるべきでは?

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